2015年9月17日木曜日

9月17日、弓削島です。

毎日温泉に入りながら旅を続けています。
9月12日に別府からUminekoの停泊しているマリンピアむさしまで、ラリー参加艇のBunny IIIに送ってもらいました。途中から風があがり25度位船は傾きます。船内にはいったら、気持が悪くなりました。船酔い。カタマランで傾かない生活に慣れていたので、久々に傾いて揺られたら危なかった。 モノハルで外洋に出る時は覚悟が要りそうです。
13日は朝7時前に出港。真東に27海里走って三机港へ。いい北風と連れ潮に恵まれ、帆走で昼前に到着。ここには有名人がいます。といってもセレブではありません。瀬戸内のヨット乗りに知られている福ちゃんこと吉見福子さん。ヨット応援隊隊長。トレードマークはひさし付き帽子と笑顔。三机港に入るヨットに対しておもてなしをするボランティア活動を始めた方です。セレブよりもよっぽど嬉しい。半端でない差し入れにヨット乗りは驚く事になります。ここでは温泉バスに乗って近くの温泉に行き、宴会です。
14日の朝には、福ちゃんから大量の菓子パンの差し入れ。
この三机には9軍神の慰霊碑、資料館があります。三机湾はその形がハワイの真珠湾に似ているという事から帝国海軍が真珠湾の潜水艇による攻撃の訓練を行った場所。1940年12月7日に潜水艇5艇に分乗した10人の20代の若者が、真珠湾の空襲の前に海中からの攻撃を仕掛けます。残念ながら戦果は挙げられませんでしたが、9人が戦死。第二次世界大戦の最初の日本軍の戦死者となり、生き残った一人を除いて、軍神とされたという事です。
夕方にはBBQパーティ。福ちゃんから今度は肉の差し入れです。松山から車で来たヨット乗り2人の方にも協力して頂きました。
暗くなって船に戻ると、前の駐車場から太鼓の音が。地元の子供たちが10月の祭りに備えて、獅子舞の練習を始めていました。
年少の男の子2人が太鼓を叩き、少し年上の2人が獅子の舞の練習。なかなかハードな動きを見せてくれました。お祭りまで、毎晩練習という事でした。
一方、Umiekoの中ではカラオケが始まります。8時前には獅子舞の練習に参加していた若者が船に来てカラオケに参加。その内の一人が矢沢永吉に、似てますねえ。かなり。8時には獅子舞練習中の子供たちもUminekoの見学に来ました。
15日は向かい風強く、当初の大三島に行くのをやめて松山市外の堀江港に入港。近くに権現温泉というのがあったので、そこに向かいます。温泉から港に帰り、港にあるみなと食堂で宴会が始まります。
おでんと生ビールでスタート。地元名物じゃこてん、鍋焼きうどんは忘れずにおさえます。
16日は7時に出港。弓削港に向かいます。距離は36海里。風は向かい風でしたが、潮が助けてくれます。来島海峡入り口で、来島マーチス(航路監督所)から指導を受けつつ、北東に向かいます。島の間を縫って進み午後2時半弓削港に到着。
夕方には温泉バスに乗って、まずはお風呂です。
そして夕食はCara, Bunny IIIのメンバーと一緒にCaraで再び鍋。寒い日は鍋がいいですねえ。
17日は雨で始まりましたが、段々と天気は回復。3日溜まった洗濯でスタートです。夕方には地元の上島町主催の交流会。受付時に参加者一人一人にお土産が配られます。中身はレトルトのサイクリングカレー2箱と観光地図が入っています。
町長、市会議長の挨拶で会は始まり、和太鼓、日本舞踊のアトラクションが入り、最後はくじ引きでのプレゼント。町を挙げて歓迎して頂きました。感謝感謝。
ヨットにやさしい三机、弓削でした。
毎日、温泉に入っています。日本人は本当に温泉が好きですね。
ヨット月刊誌「舵」11月号にUminekoの記事を載せて頂ける事になりました。
ご興味のある方、是非ご一読を。


















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