昨日からの雨が本降りになり、朝から驟雨に次ぐ驟雨で
観光の与論島、の茶花漁港内に閉じ込められています。
さて、10月14日の午前7時に宝島を出港。
同じ日に小島さんは午前3時半に悪石島を
出港。名瀬には2艇ほぼ同時に到着。
久々の街です。浮き浮きします。
街に近い漁港内に仮付けし、漁協事務所に出向きました。
残念ながら、漁港から停泊許可は出ず。
船を移動させるために船に戻ると、海保の方が3名船に来ています。
そこで、出入国港の名瀬港は開港では無い!という事を
教えて頂きました。国土交通省から不開港場寄港特許を得る
様にとの有りがたいご指導を頂きました。
暗くなる前に船を街から2キロ離れた船溜まりに移動。
フェリー乗り場にある管理事務所に届けに行って本日は
終了。
お風呂は街にあるホテルで750円。高い。
15日は例の長い名前の許可申請を行い、昼ごはんは
奄美大島名物料理No1の鶏飯を頂きます。
6種のカラフルな具、お櫃に入ったごはん、たっぷりの透明な
鳥スープがトレイに乗って出てきました。
茶碗にご飯を取り、具を乗せ、スープを掛けて、
つまり自分で組み付けて鶏飯の完成です。
お茶漬けの感覚。あっさりしていていい味でした。
お店(てっちゃん)の排煙ダクトがハブデザインはご愛敬。
16,17,18日はインプラントのチェックアップの為に小牧に
帰ります。奄美発、伊丹着便で移動です。
16,18日は長い移動で疲れました。
ヨットがいいです。乗り換えなし。
管理事務所に出向いて停泊料、840円を払います。
19日は名瀬を午前7時半に出てから古仁屋に移動。
せとうち海の駅に入れます。
狭い水路を使った係留施設ですが、沖を通る船の波が
よく入ります。
観光案内所で、20日に隣の加計呂麻島、諸鈍で島唄がタダで
聞ける催しがあり、更に21日には珍しい重要無形文化財
の「諸鈍シバヤ(芝居)」があるという情報を貰いました。
しかし、南の方では台風24号がルソン島を襲った後、北上して
こちらに向かういう予報がでています。
無料の島唄のみ聞いて移動し、芝居は次回のお楽しみに
廻します。
移動が遅れると奄美に釘付けの恐れがあったからです。
諸鈍という所、寅さんがリリーさんと住んだ家があるのですね。
デイゴ並木の前にありました。しかし、人は住んでなく、門には鍵
がかかり、荒れ始めていました。
21日は急いで沖永良部島まで移動。
海上は25ノットの風と3-4mの波です。
久々に外洋セーリングを堪能しました。
港で漁業組合長兼
町会議員の東さんという方と出会いました。
近くのホテルでお風呂を使える手筈をして頂き、
次の与論島の組合長にも紹介の電話
を入れて頂きました。東さん、有難うございました。
晩御飯は島の味を楽しむべく、地元料理のお店に。
近くに印象的デザインのスナックの看板がありました。
豚の顔、豚足、茹で殻付きピーナッツ辺りが面白かった。
22日は朝から小雨。与論島までを3時間で走り、
同行の折葉さんは以前に仕事の関係でここに
来た事があります。その相手先の社長さん兄弟、
漁協の組合長に迎えて頂きました。
社長さんに海の見える素敵なレストランでの昼ごはんに招待して頂き、
更に、車と別荘の鍵を頂きました。これで、足、風呂、洗濯機が
自由になります。
夜は近くの居酒屋で与論けんぽう。エイ、ヤッの類を見せて貰えるのかと
思ったら、イッキ飲み会でありました。献奉と書きます。
イッキ飲みの元祖らしい。
大杯に黒糖焼酎を並々と注ぎ、ホスト側が一言言ってイッキに飲み干します。
次は客人の番です。注いでいる時に「と」と言わないと焼酎は大杯をあふれて
お盆にこぼれ出します。これを続けます。黒糖焼酎は甘くて口当たりよく、
飲みやすい。これが危ない。
倒れる、血を吐くまで飲むーーという事も多いとの事。
飲んだ後で船に帰る時に落水して亡くなった方も
数人。
ここで、モズクソーメンというのを頂きました。新鮮なもずくそのものを
麺汁でソーメンの様に食べます。美味しい健康食でした。
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