5月6日は午前8時半にコタキナバルを出港。
朝方の陸風は弱く、エンジン頼りです。
陸風は陸に直角に吹かず、陸に平行に吹いており、後ろから。
弱いので、推進力にならないので、帆は揚げず。
午後になって海風に変わりました。が、今度は進行方向の
真正面から吹いてきます。
で、これが強い。後ろから吹いてくれれば帆だけで進めるのですが。
午後5時半に岸から1キロ余り離れた水深8m地点(北緯5度33分、東経115度32分)に錨を打ちます。
このボルネオ島北岸は遠浅の砂、泥底なので錨泊は大変楽です。
空が曇り、遠くで稲光が光ります。
サンセットを前方のデッキで見ながら晩御飯。
夜中になり、空は晴れ満天の星空。の下で、トランポリンの上で星を見ながら
行水です。船内のシャワールームより何倍も気持ちがいいですね。
5月7日
7時40分に錨を揚げ、ラブアンに向かいます。昨日同様、後ろから弱い風。
船とほぼ同じ速さなので、船は進めど無風状態です。暑い。熱い。
昼ごはんは初メニューの冷やしうどん。日本直送のミョウガが爽やかです。
ラブアンの港にはマリーナがある事がグーグル航空写真で解ったので、
そこに入れます。航空写真では後ろにホテルがあり、立派なプールが見えたので
一緒の経営を期待しましたが、そうではありません。そこそこのクラブハウスが
あるだけのバジェットマリーナです。
それでも岸壁で守られた桟橋、水、電気、トイレ、シャワー、食堂、
洗濯機、乾燥機と必要な物は一通りそろっています。停泊料は1フィート当たり
1リンギット(28円)/一泊でコタキナバルのマリーナの半額以下。
懐にやさしいマリーナです。
桟橋のコンクリート浮力体にテーブルサンゴらしいものが生えています。
猿の腰かけみたいに。牡蠣、藤壺がくっついているのはよく見ましたが
このラブアンにはお酒を買い出しに来ました。マリーナで教えて貰った免税店に向かいます。
遠目には近代的ガラス張りオフィスビルの1階に各種のお店が集まっています。
ビール1カートン(320㏄入り24本)が58から68リンギット。普通に買うと100リンギット前後
なので、1カートンで40リンギット安くなります。1120円セーブ。10カートン買って11200円セーブ。
他にワインと日本酒、ジン、ラム、ついでにカップラーメン4個を買います。
翌日、8日の朝に桟橋入り口まで運んでもらいました。船まで運んでもらおうとしましたが、これは失敗。
桟橋入り口から船までは自力で運びます。距離があるので、ゴムボートを使って運びます。
酒を船に積んだ後は出国手続きです。歩いて国際便のフェリーターミナルに行きます。10時半で既に十分暑い。
イミグレは普通にクリア。出国スタンプを貰います。次に海事局へ行けと言われ、行ったものの日曜で休み。
海事局が出港届けにスタンプを押し、それを持って税関に行くと、
ポートクリアランスと呼ばれる船の出国証明書が発行される仕組みです。
海事局は日曜で休み。手続きの続きは翌日に廻し、島の観光です。
といっても、これといった見どころの無い島ですが。
太平洋戦争でボルネオ敗戦の降伏地点があり、
日本政府が笹川財団の寄付で作った平和公園があるらしいので、タクシーで見学に行きました。
連合軍の戦没者墓地
降伏地点
海岸
母の日ピクニックの家族と
船に帰って来て一休みしていると、灰色の雲の帯が近寄り、空気の温度が下がって来ました。
風の向きも反対に変わり、これは「来る!」と直感。船のハッチを閉じ、天幕を下げると
強風と滝の様な大雨。ずっと雨は降ってなかったという事なので、恵みの大雨となった様です。
9日の朝、海事局に向かいます。昨日、守衛は7時から開くといったので、7時に来ましたが
開く雰囲気はありません。同じ守衛がいたので、問いただすと、頭をかきながら「8時」。
スマホはいいですね。こういう時の暇つぶしには。
手続きを終え、マリーナで支払いを済ませ、8時50分に出港。
ブルネイに向かいます。ほぼ1年前に来ているので、何処に船を停め、どこで入国手続きを
行うかはまだ記憶にあります。
フェリー乗り場沖に錨を下ろし、ゴムボートでフェリー桟橋に上陸。入国手続き開始です。
イミグレ、ヘルス、港湾局、税関の4つの関門がありますが、同じ所にあるので誠に便利な
所ですが、ヘルス担当者がいない。居るべき部屋n鍵は閉じられたまま。
結局担当者がどこかから帰って来るまで1時間待ち。帰って来た彼女は小さな子供連れで
自室に入って行きました。
今日は出入国手続きはツイてない日です。
手続きを終え、懐かしきロイヤルブルネイヨットクラブの沖に錨を下ろします。
先回は週末だったので、ヨットクラブは家族で一杯でしたが、月曜の今日はガラガラ。
ヨットクラブの対面の島に向かって橋が作られています。
この島は「中国島」になるようで、中国の素材関係の工場が作られています。
橋は中国側の要望でなく、ブルネイ国王の指示で作られているとの事。
お金に困っていないこの国が中国の工場、それも環境汚染の可能性のある工場を
領内に作っているのは、不思議ですね。石油で集めたお金の投資で焦げ付きが
あるのでしょうか?
晩御飯を食べていると、ゴムボートがUminekoに向かってきました。昨年、大変親切
にしてもらった、ピーターさんがヨットクラブの修理屋と一緒です。
1年ぶりの再会です。嬉しい瞬間です。
さっそく上がってもらって再開を祝します。ピーターさん、家では晩飯の当番という事で
長居は出来ず、早めの帰宅。
10日はクラブの守衛として働いているフィリピン人のマークさんに街」まで車で送ってもらいました。
ヨットクラブは街まで40分、28km位離れていて大変不便な所にあり、大変有り難い。
世界最大の水上集落、カンポンアイール、モスク、ロイヤルギャラリーを廻り、「改善」、いや「海膳」レストランで
日本飯を食べ、タクシーでヨットクラブに戻ってきました。
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