2013年2月20日水曜日

2月20日、Recife 到着


2月20日、午前10時30分、Recifeの港の入口に到着。なかなか大きな街です。沢山の高層ビルが見えます。
港の入口からマリーナまで約2.7マイルの水路があります。ここで、突然右エンジンの警報が。冷却水の温度が高すぎの警報です。排水口を覗くと、水が出ていない。冷却用の海水が回っていません。一旦、右エンジンは切ります。一方で雲行きが怪しくなり、スコールが近づいてきます。左のエンジンは問題なし。舵が効く程度まで速度を落とし、ゆっくりと水路を進みます。ここは水深浅く、キールの深い艇は入ってこれません。スコールに伴う突風と雨粒が襲ってきました。が、時間は短くマリーナ入口に着く頃は風も収まりました。前方にラリー仲間のRubyがマリーナにゆっくり入っていくのが見えます。

左エンジンと短時間のみ右エンジンを使う事で無事Rubyの隣に着艇。マリーナのお兄さんが係留、水、電気を繋ぐのを手伝ってくれます。すべてジェスチャーでのコミュニケーション。
一段落ついたところで、昼餉の時刻。森さんがスパゲッティの準備を始めたので、Rubyの2人にも声を掛け一緒に簡単な昼食のつもりが、Rubyからシャンパンとワインが持ち込まれ、Uminekoのビール、ワインも参加して宴会に。Gunvorの若手4人がテンダーで上陸に来たので、彼らも参加。
私は途中で死にました。気が付いたら空には星が瞬き、私はトランポリンの上で仰向けになっていました。
大変浅い所で、水深計は5.8フィートを示しています。これから干潮時には4フィートは下がるので
干潮時には底に着くマリーナです。柔らかい泥底の為、艇に傷みはないでしょう。波は全くない静かな所ですが、干潮時にどぶ川の匂いが漂うマリーナです。
右エンジンの問題は海水ポンプ駆動用のベルトが切れたためでした
ここに1週間程度滞在後、Fortalezaに向けて出港の予定です。





2013年2月18日月曜日

2月18日、サル バドール出発しました


2月17日の午前9時、一年分の音楽を聞かせてもらったサルバドールを後にしました。

ここから北に800マイルのFortalazaへは自由クルージングですが、今回は4艇一緒に行動する事にしました。というのも、単独でFortalazaに向かっていたラリー仲間の一艇(夫婦と娘の3人乗り)が夜間に漁船にぶつけられて乗り込まれそうになったという情報が入ったからです。

ところが出港直後に1艇の修理したばかりのエンジンの具合が悪くなり、サルバドールに緊急帰港。

よって、3艇(Ruby,Sophie,Umineko)で一緒に北上しています。次の寄港地はブラジルの右肩の先にあるRecife。ここまでは風と潮流に逆らう事になり、出港以来エンジンを回し続けています。
カタマランは上りのコースにはからきし弱いので、大変。燃料が切れなければ、明後日にはRecifeに到着見込みです。

2013年2月15日金曜日

2月15日、 広島お好み焼き普及活動


この地でガイドのお仕事をされているあっこちゃん、刈込敦子さんと知り合いになり、ブラジルの色々なお話を聞く機会に恵まれました。特に男女関係は他の国とかなり異なった部分があり、興味深いものがありました。

この敦子さんを通して当地の日本語学校を訪問。学校の先生方に久々に広島お好み焼きを紹介するパーティをUmineko艇上で開催する事になりました。

豚の薄切りは手に入らないのでベーコンで代用。モヤシは当地の高級食材店にあるという事でしたがトラックから店に運び込まれていないというタイミングでギブアップ。肉玉ソバ,モヤシ抜きという内容です。ソースは多田さんに持って来てもらったお多福お好みソース。

先生方と敦子さんご夫妻、他の2艇から4人と我々3人を含めて総勢12人になったので、焼きそばも同時に提供。成田先生と敦子さんには調理実習をして頂き、お持ち帰りも作ってもらって楽しい昼食会となりました。

岡部先生にはご自宅で取れた新鮮な果物、ジュースを持って来て頂き、宮村先生からは野菜の差し入れ成田先生にはここで何とか手に入れたかった日本米を買ってきて頂きました。有難うございました。






2013年2月10日日曜日

2月10日、サルバドール


ここは面白い街で、マリーナのある地区は隣がビジネス街。旧市街は高台側にあってそこに行くにはエレベーターに乗ります。4基のエレベーターがあり、片道0.15レアル(7.5円)。エレベーターを使わずに上下を行こうとすると、タクシーに乗る事になります。エレベーターの横の急斜面には道がありますが、ここは地元の人も避ける怖い通りだそうで夜は絶対だめよという所です。
カーニバルは旧市街の参加型---数か所に広場でバンドが大音響で演奏をし、その前で自由に踊る、通りは地元のグループが太鼓を中心としたバンドと踊りで練り歩くのを見物―――こちらは無料、というのと南のBarra地区の海岸通りに大がかりな山車とバンド、有名どころの演奏が入る、周囲の道路はフェンスにベニヤ板が貼られ、有料でバルコニーに入って観る---こちらはビール付きのバルコニー1万5000円位からと大変高額です。ホテルは大体通常の3倍価格。年に一度使う人と儲ける人に別れる様です。
7日の夜から旧市街はあちこちでバンドと行進の大音響に包まれています。ここはブラジルの武術、カポエイラの本場でそのデモもあちこちでやってます。昼ごろ起きてビーチに行ってゴロゴロして、夕方から街に繰り出して明け方4時5時頃まで騒ぐのがカーニバルの過ごし方の様です。
日本人の若者40人位のグループがドラムの行進をやっているらしいですが、まだ見つけられず。
ケープタウンからサルバドールの草レースの結果はマルチハルクラスで久々の1位。ここのトロフィーは立派なものでありました。
8日の夜はポンツーンで誕生日を祝ってもらいました。 褐色のお姉さんの乗ったチョコレートケーキで。多田さん、森さん、塩田さん、ありがとうございました。