2016年12月21日水曜日

12月21日、パンガーベイ東側探訪

今回のルートです。


12月13日にプーケット島北端にあるヨットヘブンマリーナを出発、真ん中の島をかわし、
湾の東側に向かいました。着いたのは観光地であるアオナンビーチの南にある岩の
中。

近づくと、堂々と空に向かっている岩に迎えられます。
そのおどろおどろしい岩々の真ん中に錨をいれます。


上陸して洞窟らしいのがあるので、近寄って見ると。

何と、沢山のものが砂からにょきにょきと!
私の別宅のある愛知県小牧市には田県神社というのが
あって、巨大なご神体、愛嬌のある可愛い物まで珍列してあるので
驚きは無かったですが、このタイの船でしか来れない洞窟に
こんなに集まっているとは。

願い事をして、叶えられたら、持って来て置いておく、と書いてありました。
赤坊の人、よほど大きな願い事が叶ったようです。


この浜はリゾートのレストランしかないので、移動レストランが営業しています。


岩登りもあり。


14日はクラビリバーマリーナに移動します。ここのいい所は、いつも空いていて
絶対に満船にならない所。いつもヒマ。


15日はタクシーを一日借りて、エメラルドプール、温泉に出向きます。
平日で早かったので、エメラルドプールは人が少なく、濁りなく、まさに
透き通ったエメラルド色でした。


温泉は大量のお湯、38℃位ですか、が岩の上から流れていて、岩の窪みが
天然の湯船。暑くなったら下の川に入ればクールダウン。
お湯に浸かったのは本当に久しぶり。気持のいい一日でした。




16日は乗り合いトラックに乗って、観光地のアオナンビーチへ。
夕陽が綺麗でした。その夕陽鑑賞が終わる頃、綺麗な元お兄さんのお姉さんが
ショーの営業に通りに現れます。皆、背が高いですね。



17日はクラビからランタヤイ島の小さなビーチへ移動。
ここで、不覚、佐藤は風を引きダウンです。


次はこのルートのハイライト、ムク島のエメラルド洞窟です。
100m暗闇の洞窟の中を泳ぐと、その先に天国のビーチがある所
です。無理はせず、船は移動せず。
19日に鈴木さんにはボートツアーで行って貰いました。

来月は泳いで行くぞ。

20日は一日走ってプーケット島の南、チャロン湾に戻りました。
21日はタイの出国手続きを終え、明日はマレーシアに向かって
南下を始めます。

2016年12月14日水曜日

12月12日、東南アジアクルージングメッカ報告、前半

ここ一週間、雨が降らなくなりました。
夜にコックピットの天幕を下げないで過ごせています。
また、夜は涼しく、夜風にずっと当たっていると寒くなります。
船室でも、寝る時の扇風機は不要なくらい、涼しいです。

11月27日にマレーシアのランカウィを出て、タイのリぺ島で
入国。北上してプーケットに入り、日本から飛んできた
辻野さん、磯田さんも交えてにぎやかにこの海域西側を
中心に廻りました。添付の写真が走ったルートです。


この海域は東南アジアのヨットクルージングの中心です。
綺麗な海、沢山の島々、奇岩、絶景に富み、お値打ち値段の
タイ料理、マッサージと、クルージング天国です。
水深も浅く、泥、砂の底が多く、錨泊が大変やりやすい所です。

11月27日、ランカウィで出国手続き。ここのハーバーマスターから
指導を受けました。私の提出した書類の記録は今年の5月31日にジョホールを
出港した記録のみ。マレーシアではマレーシア船籍船でも、港に出入りする毎に
ハーバーマスター事務所に出向いて、入港、出港手続きをせんとダメよ、という
指導です。それでもわかりのいいハーバーマスターは出港書類を作ってくれました。

5時間ほど西南西に走り、タイ領のリぺ島に到着です。今回は忙しい南側でなく
静かな北西の錨泊地に錨を降ろします。そのまま上陸せず、一夜を過ごします。

11月28日、テンダーに乗って、近くのリゾートの浜に上陸。南側の浜に歩きます。
観光地としての開発が進んでいます。至る所に、リゾート、宿、レストラン、バー、
ダイブショップ、お土産屋、マッサージ屋があります。タイのマッサージ屋は嬉しい
ですねえ。1時間250-300バーツ、800-900円程度です。
南の浜にある、イミグレ窓口で人間の入国手続きです。ヨットの船長、クルーで
入国すると、4枚の書類に書き込みが必要です。パスポートにスタンプは無く
書類を一枚もらって終わり。滞在は30日間。



昼ごはんにはパイナップルに入った焼き飯。これは外せませんね。


マッサージして、髪を切って、買い物をして船に戻ると、隣に見覚えのある
カタマランが。緑のセイルカバー、米国製のマンタらしい船形。
近寄って船名を確認。Relax です。ドイツ人のラルフとカルメン夫妻の乗る
船です。セイルインドネシアラリーの仲間です。
こういう偶然の再開は誠に嬉しいもの。早速、訪問してあれこれと話がはずみます。


11月29日、リぺ島を出てロクナイ島、ロクノク島のムアリングブイを覗いて、ランタヤイ島の
南西に錨泊。最後は向かい風にしっかり吹かれました。

11月30日、朝一で抜錨し、プーケットのヨットの玄関チャロン湾に入ります。ここには
ヨットの出入国手続きの窓口があり、親切かつ効率的に手続きが行えます。
アンカーを打って、テンダーで上陸。
窓口に着いた時間は午後4時。既に3時で閉まっていて手続きは明朝になります。


12月1日、一番乗りで手続き終了。30分程度で船の入国手続き完了しました。
テンダーで帰り際、キングスカップレースの為に来た、ペナンがホームポートの
カタマラン、Minnie、新井船長の一行に出会いました。



日本から合流する辻野さんとの合流点、プーケットで最も華やかなパトンビーチ
に向かいます。
パトンビーチには浮き桟橋があり、テンダーを横づけ出来るので、上陸時に足が
濡れません。砂浜上陸は半ズボンを巻き上げても、波で大概濡れてしまいます。


タイの海の観光地No1がプーケットで、そのNo1ビーチがパトンビーチ。
全ての面で、忙しい所です。
混雑した観光地を楽しみ、3日午前零時40分プーケット空港着で来る辻野さんを
待ちます。船で待機し、桟橋に着いた時に電話を貰ってテンダーで迎えに行く事に
しています。飛行機の遅れもあり、桟橋着が午前3時過ぎ。辻野さん、無事到着、乗船。
マーケットの1階で食材を買って2階で調理して貰います。



12月4日は当地で最大のヨットレース、キングスカップの開会パーティに参加です。
ペナンのマリーナで知り合った、ヨット仲間、新井さんが愛艇Minnieで4連覇を掛けた
レースに参加するので、その応援というか冷やかしというか。

ところが、明け方にテンダーが消えている!という事態が起こり、大ショック。
テンダーが無いと、マリーナ以外では陸上に上がれなくなります。
雨の中、スタンドアップパドルボートに乗って、岸に上がり、警察の助け(探しと保険用の
レポート)を借りに浜の交番に出向くも、死んだような眼をした警官二人が非協力的
態度を取るばかり。こりゃ、ダメと陸上移動に漁船にお願いをしようと桟橋に向かった時に
桟橋に舫ってあるのを発見。嬉しかったですねえ。


近くにいたモーターボートからお兄さんが出てきて「夜中の2時ごろに浮いていたのを見つけたので
桟橋に引いて来た」という話なんですが。
怪しい話ではありますが、とにかく出てきました。今後は夜は釣り上げ、チェーンロックを掛けます。はい。

今回のキングスカップの出乗艇は110余り、12のクラスに分かれています。日本チームは5チーム参加です。
開会式と立食パーティでレースウィークは始まりました。パーティ代1人1000バーツなり。



12月5日は第一レースのスタートの見物です。
朝6時半に観戦メンバー3人が桟橋に到着。
1時間半走ってレース海面に向かいます。
とてもいい東の風が吹いています。
Minnieは最後にレース海面に現れました。連勝チームの貫禄か。


スタート後、最初の風上マークをMinnieは2位で回航。4連覇に期待が盛り上がります。
結果として、7レース戦い、Minnieはクルージングマルチハル部門で優勝、4連覇を
成し遂げました。新井艇長、チームの皆様、おめでとうございます。
他の日本チームも、IRC1クラス1位、クルージングマルチハルクラス2位、ファイアフライクラス3位と
大活躍でした。

最初のレースの第一レグを観戦し、観戦メンバー3人をカタビーチに下ろし、
パトンビーチに戻ります。磯田さんをピックアップする為です。
磯田さん乗船後、船は島の南西にあるナイハンビーチに向かいます。
静かな入り江でパトンビーチと180度反対の落ち着いた所です。
ここで錨泊です。


12月6日、朝一で抜錨、北に向かいます。そこには「007黄金銃を持つ男」のロケ地が
待っています。ジェームズボンドアイランドと呼ばれている観光島です。
この湾、パンガーベイの北部には面白い形をした岩が海から突き出ている景色が
沢山見られます。その中でもジェ―ムスボンドアイランドは格別の自然の芸術を見せて
くれます。入場料1人300バーツなり。





更に北に2時間走ると、岩山に張り付く様に水上に家が密集した所があります。
水上集落です。立派なモスクが金色の屋根に夕陽を反射させています。
この村の横に錨泊します。と、船に乗った地元のおじさんが近づいてきました。
ヨットと、集落にあるレストランの渡し、北にある古代壁画ツアーの売り込みです。


Uminekoのポリシーは多少のお金は地元に落とすというもの
レストラン往復の渡し業務を依頼しました。
おじさんが連れて行ったくれたレストランは集落の北の端にあり、
海辺のテーブルは風が強い。涼しいを通りこして寒い位です。

ここでのメインは、新鮮なスズキのニンニク胡椒揚げ。大きな魚が2つの皿に
分割されて出てきました。
食後は集落の中を散歩。水中にコンクリートの柱を打ち、その上にコンクリートで作った
道路を挟んで両側にお店が沢山あります。
ブルネイの水上集落を思い出しました。


翌、12月7日は次のハイライト途中にある静かな湾で錨泊。
有名観光地、ピーピーレイ島に午前中に着くための時間調整です。
訪問地で作られた、デカプリオ主演の「The Beach」DVDを鑑賞し
気持を盛り上げます。デカプリオ、若い!

12月8日はいよいよピーピーレイ島に向かいます。途中、沢山の網の仕掛け
が行く手を阻みます。それをかわして、マヤベイに到着。すでに沢山の観光客
が来ています。昨年取れたムアリングブイも満員。初めての辻野さんと磯田さんに
テンダーに乗ってもらい、浜に上陸してもらいました。



夜はピーピードン島の南側の湾に入り錨泊です。観光島です。沢山の船で一杯です。
島内も白人の若者で一杯です。アジア人は中国人と韓国人。日本人は
少ないようです。お店、ダイブショップの看板には中国語と韓国語はありましたが
日本語は見かけませんでした。

12月9日はプーケットのチャロン湾に向かいます。磯田さんはここで下船。
買い物にタクシーでタスカーセイルとセントラルフェスティバルという
ショッピングセンターを訪問。セントラルフェスティバルの日本食材コーナーには
感動しました。ここでほとんどの日本食材は揃えられます。

12月10日は再び北に向かい、アオポーグランドマリーナを狙うも、満員で入れず。
更に北に上がって、ヨットヘブンマリーナに入りました。



以前着た時とは大違いで、立派な建物、レストラン、ジム、プールが出来ており
立派な国際クラスのマリーナに進化していました。トイレ、シャワー室も立派で
エアコンが良く効いています。
12月11日の夜に辻野さんが退船。



これでプーケット&パンガーベイクルージングの前半は終了。

後半は東側のクラビ、その南の島々を探索の予定です。

2016年11月27日日曜日

11月26日ランカウィに来ています

フェースブックに記事を入れていると、時折、Umineko通信にも書いた気がして
間が開く事があります。

報告が遅くなりましたが、11月18日にペナンを出港しました。
現在はランカウィで錨泊中です。

今は、乗員は2人。ペナン在住で今迄何回もUmineko乗艇経験のある
鈴木美希さんと私。プーケットでは辻野さんと磯田さんが乗船予定です。

ペナンでの最大の事件は若返りサプリとの出会いです。
ひょんなことから知り合ったマレーシア人の友人から進められ、
面白半分に試してみたらその効果たるは、凄いの一言。
ライブセルセラピーを身をもって体験中です。
写真は顔面の皺が一ヶ月で減って行く様子です。
肌の表面に塗るのでなく、経口で体の内部から若返りを起こすのが
凄いです。肌の改善は効果のほんの一部です。らしいです。


18日はペナンから北に40海里走り、マリンパークのパヤ島のブイを取りました。
暗くなって寝る前に、隣の無人の青い船がゆっくり近づいてきました。
ブイは船同士が当たらない様に設定してあるはずだから、大丈夫だろう、
だけど心配、とフェンダーを準備。本当に当たって来ました。
風が無く、潮の流れの具合で船形が違うと当たるまで寄って来るんですね。
要注意です。


ランカウィに着いたら、仲間が待っていました。2014年に参加したセイルインドネシア
ラリーで一緒だった仲間が迎えてくれました。早速、6艇の仲間とランカウィで知り合った
日本人、CoCoちゃんも一緒に会食を楽しみました。再会は初めて会うより感慨深いですね。
多くはこの海域でラリー到着以来、2年間ヨッティー生活を楽しんでいるわけです。


ランカウィに来ると行くのが当地のナマコ石鹸、日本訪問時にUmineko見物に来て
頂いた女性にプレゼントしていた、あのバティックに包まれた可愛い石鹸ですが、
それを売っているお土産屋のGayaminamiの訪問です。先回はプチゲストハウス
の建設中でしたが、今回はそれも開業していました。「FUUKA VILLA」という名前です。
ランカウィで小さな宿をお考えであれば、是非寄ってみて下さい。




ランカウィに着いたら、最大のお仕事はボロボロになったメインセールの
交換作業です。首都のクアの前の錨泊地にて25日に完了しました。
これでUminekoはヨットに帰りました。



26日はランカウィ日本人セーラー大集合という事で、キングスカップ4連覇を
狙うカタマラン「MinnieB」新井艇長とそのチーム、ホノルルで会い、サモアで会い、
またまたフィジーで会った「秋津洲III」の松下夫妻、最も真っ黒な船長・安部さん、
ここに住んでるCoCoちゃんの合計11人でランカウィの海鮮料理を堪能しました。

ランカウィにも日本人セーラーは増えました。

旧友との再会、新しい友との出会い満載のランカウィでした。
明日は出国手続きを行い、タイのリぺ島に向かいます。

2016年11月10日木曜日

イザベルさん

愛すべきヨッティー達、第二弾は独身、女性、スイス人の方です。

丁度、Uminekoの係留している桟橋の反対側ににマンタという名のモノハル艇、1981年製のGibsea36が接岸。中から猫が出てきて、Uminekoのデッキの探索を始めました。次は長身の女性が現れました。名前はイザベルさん。30代後半と思われます。

良く日に焼けた締まった体。本職はダイビングインストラクター。

ローザンヌの近くの小さな村に生まれたイザベルさんの10代の夢は、オーストラリアに行く事。学校を卒業し、測量士として働き、23歳の時に6ヶ月休職して念願のオーストラリア行きを果たしました。

夢を実現した後は何をする?
測量士の仕事を続けながら、次に思いついたのが、自転車で地中海を一周する事。
2009年にスイスを出発。南下して2年かけて地中海を廻り、気に入ったエジプトでダイビングのインストラクター資格を取得。

その中で、ヨッティーと知り合う機会があり、自転車はスイスの自宅に送ってオーシャンヒッチハイカーに転身。ヨットを乗り継いでバヌアツ、ソロモン諸島、パプアニューギニアをクルージングします。

この中で次の目標が決まります。ヨットのオーナーになる!
3年以内にヨットを買えなかったら、スイスの家に帰ると決め、2年間、旅とダイビングの仕事を続けながら資金を貯めました。

2015年にランカウィで80歳の夫婦からこの船を買う事に成功
それから一年半、東南アジアの梅をクルージングしています。
これまでの走行距離は4500海里。

バジェット派ヨッティーで購入後にマリーナに入ったのは、このストレイトキーマリーナが
初めて。アンカーとチェインに亜鉛メッキを施すために、このペナンに来ました。

彼女もヨットの訓練は受けた事が無い!ヒッチハイカーで船に乗っていたのが約2か月。その間に覚えた知識と、ヨットを買った後の実戦で操船を覚えたという事です。

先回の南アフリカのご夫婦と言い、イザベルさんといい、逞しいですね。

彼女の船にはダイビングコンプレッサー、カイトサーフィンセットが積んであり、ヨットクルージングも仕事にしています。

この海域で彼女の船に乗って、ダイビング、カイトサーフィンで遊びたい方は下記サイト
から連絡を取ってみてください。

2016年10月29日土曜日

航海記、完成しました。

あと数日とお伝えしておきながら、ソフトの修正に時間が掛かってしまいました。
電子書籍なので、可能性のある端末全てに対応を目指した訳ですが、
I-Phoneで読むと写真が潰れる現象が発生し、その修正に時間がかかりました。
申し訳ありません。

言い訳はこれ位にして、ヨットとの関わりから準備、ハワイを出て西回りに一周し、
セイルインドネシアが終わる所までを一冊に纏めました。

価格はお値打ち価格の1029円。中途半端な数字ですね。アマゾン・キンドルの
電子出版ではUSドルで価格が決まるので、こういう数字になりました。月刊誌程度の
お値段です。

20代、30代の皆様は電子書籍に馴染が有るようですが、40代以上になると
「端末はもっているが、本は紙。電子書籍は読んだことない」方が多いと思います。

これを機に、電子書籍にチャレンジ頂ければ幸いです。新しい体験は頭の健康
にも大変良いと思います。

電子書籍は初めての方は下記をクリック下さい。簡単な説明の場所に飛びます。
作業としてはキンドル用の形式で作られた電子書籍を読むためのソフトの取り込みと
本自体の購入という2つのステップになります。



ご購入は下記のリンクをクリック下さい。購入ページに飛びます。

2016年10月24日月曜日

凄いヨッティー夫婦

マレーシア西部のペナン島に来て早一週間経ちました。

到着した15日からずっと雨でしたが今日は久々の晴れ。
晴れたら暑いです。いや熱い。赤道の少しだけ北にいるのを実感します。

4ケ月、それも雨の多い時期にこの熱帯地方に停泊していたわけですが、
当地に移住している鈴木さんに2週間毎にハッチを開けての空気を入れ替え、エンジン回しを
して頂いていたので、エンジンは快調にかかり、室内の壁面へのカビの発生は
防ぐことが出来ました。鈴木さん、ありがとうございました。

とはいえ、古いヨットなのでやる事は山ほどあります。

更に、当地での日本人、マレーシア人の友達との交流もあり、
大した整備が出来ていないのに、時は流れる訳です。

今日は、面白いご夫婦と出会いました。
南アフリカから来た、ボブさんとディルドレさんご夫妻。
凄いというか大胆というか。

ボブさんは16歳から空軍のヒコーキ乗り。50年間、空軍の飛行機
と退職後の趣味の複葉機にのっていました。奥さんから、その内
落ちて死ぬわよ、と言われたのが67歳。では静かにして死をまつ生活
なんてまっぴらと、ヨットで旅に出る事に決め、南アフリカでカタマランヨット
を購入。

ケープタウンのマリーナで引き渡してもらい、狭いマリーナの外に出るまでは
造船所の人に運転してもらいました。
ボブさんはヨットの経験ゼロ。トレーニングを受けたことなし。
その人が、いきなり新造船を受け取って、そのままケープタウンを
出港して大西洋横断に向かったのです。
その船に乗り込んだ奥さんのディルドレさんの方がもっと凄いかも
知れません。出港は2003年。

セントヘレナに寄港後、ブラジルに無事たどり着き、それから13年をかけて
西回りに太平洋を渡り、このペナン、ランカウィ、プーケット周辺で時間を
過ごしています。ボブさんは現在81歳。

Uminekoは4年半の間に嵐に巻き込まれたことはありませんでしたが、
この2人は大きな嵐に3回。オーストラリア東部の嵐では転覆を観念した
80-85ノットの風と8メートルの波。シンガポール沖では雷に直撃を受け
電気関係がすべて壊れた、ブラジルでは海賊まがいに出会った、という事で
ヨットが遭遇する恐ろしい体験をすべて体験という事でした。

ボブさんを見ていると、あと20年位はやれそうな気がしてきます。

ボブさんがシンガポールのヨットクラブで聞いた話。
第二次大戦で日本軍がシンガポールを占領。イギリス人は撤退。
そこにはイギリス人の作ったヨットクラブがあった。

日本軍はヨットクラブのヨットの掃除を続け、クラブのシンガポール人
スタッフの給料を払い続けた。
敗戦で日本軍が引き上げた時には、クラブ、ヨットは綺麗な状態が維持されて
いて、元のイギリス人が入って来た。

写真はご夫妻と愛艇のカタマランヨット、Plane Sailing号です。
アドミラル38ですが、実際の長さは40フィートあります。




こういう方たちと知り合い、沢山の話を聞くのも、海上生活の楽しみの一つです。

投稿再会します。

ペナンのマリーナにUminekoを残して帰国し、早くも4ケ月が経ってしまいました。
日本滞在時の最大の課題は「航海記」の作成ですが、完了しました。

アマゾン・キンドルの電子ブック形式です。
現在、Windows, アンドロイド端末、i-Pad, i-Phoneの全てに対応できる様に最後の
調整中ですので、あと数日お待ちください。出演者は全て実名で登場。
これまでにUminekoに乗艇して頂いた、辻野さん(編集)、安齋さん(挿絵)との
3人で作りあげました。
販売状態になりましたら、またご連絡させて頂きます。

紙の本での出版ですが、調査中です。
ページ数がいささか多くなってしまい、出版原価が高くなりすぎるので
安くできる方法がないか?検討中です。

リオオリンピックを観戦し、東京都ネタのワイドショーを楽しみ、
はやりの低糖質ダイエット+ウェイトトレーニングも試していると
はや出発の日になりました。

明日、15日にペナンに向けて出発します。愛艇はどうなっているでしょうか?
Uminekoのマストが好きな烏がいて、糞、食べかすを落としているようです。

前部の物入れには蟻がコロニーを作っていたようです。

4ケ月間で船底は生物のワンダーランドになっているか?

やる事が沢山想像できます。考えるだけでもワクワクします。

まずは、大掃除。次に保険会社との話し合い。それに基づき、
古くなった安全装備(ライフラフトの整備、消火器・信号燈煙の買い替え、
周辺海図の購入、雷対策装置の設置等々)のやりかえ。

バラバラになったメインセイルはタイのプーケット島に行って
新しい物を発注する事になります。

船体の塗装は昨年行いましたが、今度はデッキが「塗装をやり替えてくれ」
と言い始めています。これも何とかしなくては。

前側の2つのトイレもシャワートイレ化したいですね。

と、忙しい毎日が送れそうです。


今後はフルタイムヨッティーからパートタイムヨッティーに変身します。
春秋は日本、夏冬はマレーシア、タイ、インドネシアで海上生活者と
なります。

それに伴い、Umineko通信の内容も世界を走り回るから、
東南アジアを海から見る話、プチ海外移住的な話になると
考えています。